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コミュニティカレッジという 2 年制大学がアメリカにはたくさんあります。日本でいう短大に近いイメージです。ここだったら学校の成績は関係なく、英語力が一定レベルあれば入れることになっています。一定レベルの英語力というのは、渡米する前に自分でも勉強しましたし、アメリカに行ってからも語学学校があります。その語学学校も通いながら英語力を上げてコミュニティカレッジに入る準備をしました。3 月に卒業して、5 月か 6 月くらいに渡米したと思います。そこで 3 ヶ月くらい語学学校に行きました。アメリカのコミュニティカレッジは 9 月から始まるんですけど、9 月 に間に合うように英語力を上げて、9 月からコミュニティカレッジの学生になったというのが一番最初の留学生活です。その通りにちゃんと勉強して入学をしましたが、もともとはバスケットがしたくて行っているので、バスケットに明け暮れていました。朝から晩までバスケしていました。ただ、部活としてやっているわけではなくストリートバスケなので、そのあたりにバスケットゴールはいくらでもあるんですけど、あるバスケットコートに行って、人がどんどん集まってくるので、そこでランダムにピックアップし 合って、チームメイトを選び合って、そこでひたすらバスケの 3on3 を繰り返していく中で、実はそちらのほうで英語力が伸びたのではないかなと思います。英語を使いますので。勉強だけの英語では なく、覚えた単語とか表現とか文法を実際に使うので、「こういう使い方をするんだ」とか、バスケを 通じて学んだ記憶があります。

大きい仕組みとしては、コミュニティカレッジ、短大で 2 年間過ごしますけど、コミュニティカレッジの成績がよければよいほどランキングが高い 4 年制大学に編入できる仕組みがあります。これを総称してトランスファーといいます。文字通りの意味でいうと単位を移行するという意味です。2 年分の単 位を 4 年制大学に移行して、身体もそちらの新しい大学に移行します。3 年時編入ですね。4 年制大学に行って、そこで 4 大を卒業しました。単位は全部返還されているので、卒業証書とか記録には、どこのコミュニティカレッジに行ったとか記録は残らずに、4 年制大学を卒業するという 経歴になります。厳密にいうと 2 年生まではコミュニティカレッジ、3 年生から 4 年制大学にいくルートがあります。それは行ってから始めて知りました。もともと、そういうルートを目指すぞと思っていたわけではありません。行ってからそういうルートがあるということで、せっかく来たから、親の理解を 得てですが、2 年制ではなくて 4 年制大学を卒業したいなと思っていたので、4 年制大学に 3 年 時編入という道をたどることになります。

ラッキーも重なりましたけど、最初はあまり勉強するために行っているわけではなくて、実はバスケをするために行っているので、コミュニティカレッジに入ってバリバリガリ勉したわけではありません。ただ、 あまり英語力も、多少最後は上げていたとはいえ、ネイティブに勝てる英語力ではないので、数学とか物理とか体育とか、英語力勝負ではないところのクラスを取りまくっていました。見方によって はやる気がない取り方ですが、見方によっては賢い取り方で、英語力が成熟していなくても戦える 教科ですので、それなりに成績はよかったです。体育で好きなバスケを 2 つ取っていました。好きなバスケをやって良い成績をもらえるわけです。数学は、もちろん英語でやりますが、英語の必要とさ れる力は限られています。やっていることは日本の高校生のほうが進んでいますので、さすがに授業に力を入れて臨んでいなかった僕でも最初はついていけるレベルでした。すごくしんどい思いをすることなく良い成績を保つことができました。良い成績を保っていると奨学金がもらえて、「こんなに良い成績なら奨学金、チャンスあるよ。もらう?」と言われて申請したらポンともらえました。これは返さなくてもいい奨学金です。正確には覚えていませんが30万から50万くらいの幅でポコンともらえました。なんでくれるのかというと、このまま良い成績を取っていくと良い4年制大学に行けるから、良い4年制大学に行って卒業して、私たちのコミュニティカレッジの名前を売ってください、という位置づけらしいです。だから成績が良い人、見込みがある生徒には賞金を作ってという、そういう奨学金が学校によってはあるらしいです。

それで4年制大学に行けるんだと思って、そこから少し勉強し始めたという感じです。単純なもので、人間ってやって成果が出たり、やって評価されたら嬉しいもので。やって成績が出たということが、これまでの高校生までなかったので。それはやっていないから成果が出ないということですが。やって点数に結びつく、認められるということが、偶然、 数学ばかりやっていたので、運が良くそういう気持ちになることができて、そこから勉強にシフトしました。バスケットをしたくて行きましたが、高校生のときにひどい怪我をしていて歩けなくなる直前まで行きました。最後は克服して試合に出るようになったという話をしましたけど、騙し騙しやっているだけで完治したわけではありませんでした。だからアメリカに行ってバスケをたくさんやると同じことに なってしまって、歩けないなという感じになってしまいました。練習していたら2メートルもあるような 黒人さんに押しつぶされてさらに悪くなって、このままだと本当に歩けないところまでいき、もうバスケはおしまいと、行って 1 年経たない内になりました。半年ちょいくらいかな。ただ、明けても暮れてもやりたいだけバスケをやっていましたので、そこで感じたのはプロにはなれないなと。今ではプロリーグはありますけど、当時は日本にプロリーグはありませんでした。アメリカの NBAの選手になりたいと本気で思っていました。でも、それはなれない、そのレベルには怪我がなくても届かないというのは自認していました。でもアメリカにバスケをしに来ていますから、「辞めます」という矛の収め方もできず。どうしようかなとなっているときに身体も動かなくなって八方塞がりで、このままバスケットは進め ないということになりました。そのタイミングで、良い成績とか奨学金とかもついたので、そこはいろん な意味で、スイッチの切り替えのタイミングがそこでバッと来たという感じです。そこから勉強を頑張りました。

アメリカのいいな、と思ったのは人がうるさくないです。日本は人がうるさいです。大声でうるさいという意味ではなくて、「ああすべき、 こうすべき。なんでこれができないの?」とか、いっぱい咎める姿勢とか、そこまで責める?という。いいじゃん失敗しても、っていう。ダメなものもありますけど、全般的に日本の人たちはうるさいです。 アメリカの人たちは全員ではないですけど、「Take it easy」、気楽に行きなよ、みたいな。誰もあなたのことは知らないから、あなたが少々ミスっても誰も構わないよ、そもそもあなたのこと中心でみんな考えていないからとか、普通にそういうことを言いますね。アメリカの良いところというのは、良い意味でも悪い意味でもですけど、大雑把でおおらかです。もう少し正確になれない?と思うとき も逆にありましたけど。

アメリカで最終的には脳神経科学の専攻に行きました。最初に行ったときは、「何でもいいから専攻を選んで」と言われ、数学が一番やりやすいだろうという安易な考えで数学を専攻しました。難しい数学をやらないといけないし、それはついていけなかったので、高校でいう数Ⅲ、数 C のレベルではちょっと難しいなと思っていました。その先もあるので数学者になるわけにもいかないし、なれないし、どうしようと思って、アインシュタインの相対性理論に影響されて物理に変えました。あと量子力学、Quantum physicsというのは面白いなと思いました。無限の世界とか極小の世界とかを取り 扱う学問ですが、それは面白いなと思って物理を専攻しました。物理学者にもなるわけにはいかないし、そもそもなれないし。この先を見たら興味だけで選ぶのはダメだなと思って、それで生物学にしました。理由は、脳が面白かったからです。物理で扱っていた宇宙の無限さとか時間の無限さとか、そういう無限が面白いなと思っていて。脳も無限だなと思っていて、それで共通点を見出して脳の研究をしたいなと思い、脳科学の専攻に行きました。その頃はもうバスケは全然やっていません。研究に打ち込むしかすることがないので、それまでのバスケに向かっていたエネルギーをすべて吐き出すように、勉強のエネルギーは研究にいきました。