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社会活動

地震と寄付・支援

僕は2004年卒業なんです。卒業して、日本に帰ってきてなので、地震はそこから7年して起こっているわけですね。日本に帰ってきてからは、今の仕事はすぐ、起業したんです。どこかの会社員になったとかではないのですが、一番最初は事業資金を作らないといけないので、塾の先生をやりました。一部は親に借りて、ちゃんと返すことになるんですけど。親に一部借りて、残りの事業資金は自分で1年間塾の先生をやりました。大体全教科教えられたので、そこで1年間お金を貯めました。そのあと2年間は理化学研究所で、僕も医療の研究とか論文執筆とかしていたので、 理系の生物の研究、タンパク質の研究をやっていました。僕が研究するわけではありませんが、理化学研究所では研究している人の支援をしていました。横浜の鶴見に研究所があるんですが、そこに2年間いました。やはり英語を使ったお仕事だったので。論文の支援はポスターの作成支援とか、研究者の支援をしながら 2 年間、事業資金を貯めました。貯めているときも空いている時間 は少しあったので、そこで数名の生徒さんのサポートとかはやっていました。メインは、一回資金を貯めるという期間が合計 3 年間ありました。そこから起業して、ということになります。最初は自分が留学したからといって生徒さんがたくさん集まっているわけではないので、小さい塾みたいな、個別指導塾みたいな感じでやっていました。場所は、最初は東京の高田馬場にいて、そこから錦糸町に来て、そこから一回横浜に移り、また錦糸町に戻ってきて、というときに地震でした。そのとき従業員は5人くらいの、まだ小さい、今でも小さいかもしれませんが、今でもそのメンバーが1人2人は残っていますけど、そのときに地震でした。

募金活動といいますか…。ドラえもん募金とかあったのかな。今でも続いている募金もあれば、活動として続いていないものもあるでしょうけど、そのときにやっている募金に何かしらの協力をするということで。実は今日も、偶然ですけど3月11日なので地震の発生した日ですよね。今、朝早い時間にやっていますけど、これが終わったらまた何かしらの形で募金には行きます。これは特に子どもたちの学習支援に募金をさせていただいています。学校も流れてしまって勉強も何もできないという環境が、また一部続いたり解決しきれていないところもあるので。さすがに時間が経っている ので、一番最初の頃よりは復興は進んでいるという声は聞きますが、まだその支援が届いていない子どもがいるのであれば、教育の分野にいるので、勉強ができない子どもがいるのであれば、それは社会構造的に解決しないといけないことだと僕は思います。できる範囲ではありますけど、募金とかできることは今でも続けています。